ミラーイメージ

古典的なマーケティングがいう4P、すなわちProduct、Price、Promotion、Placeは市場において自社や自分たちが一体なんなのか−自己を定義する際の主要検討項目に過ぎない。まさか、この4Pを持ってして自分たちが一体何のか−自己定義に必要な全てのデータが揃うと思う人もいないだろう。
4P、たとえて言えば試験科目が四教科あるようなもので、四教科も試験すれば受験生の学力を査定出来るだろうというのに似ている。査定項目を多くすれば、さらに詳しく自社の、自分たちのありようから市場におけるポジションまで分かるだろう。コンピュータを活用した多変量解析の導入も進み、大量のデータを解析して自社のポジション、そのポジションに至った経緯を分析しているところも増えている。しかし、扱えるデータの質と量が大きく改善し解析手段が高度化しても、なんらかの機械的、一義的なプロセスや方法で自己を定義できるとは思えない。いかに有意なデータを適切に処理し解析しても、経緯も考慮した現在の自己の認識と、とくに将来のありようを考え決めるのは人で、データや解析手法ではない。そこに人の人と言われる所以たる将来を思う能力がある。

自己定義はビジネスの世界だけではなく社会のあらゆる面で誰にとっても、どのような組織にとっても最も重要な基本となる。ビジネスの世界では市場を理解するということは取りも直さず市場における自己(自社や自分たち)を定義すること他ならない。それは、社会や組織、市場に自分たちがどのように貢献するかという視点からみた自分たちの存在理由や存在価値とも言える。市場において自分たちが一体何のかを考えるとき、市場は自分たちを移す鏡のようなものに喩えられる。自社や自分たちが実在としてある。市場が鏡となり、鏡に写った像が市場における自社や自分たちになる。

自社や自分たち−すなわち実在と市場における自社や自分たち−鏡に写った自社や自分たちには大きな違いがある。市場に求められる(と考えられる)自社や自分たちが鏡に写った自社や自分たちで、それは自社や自分たちの一部分に過ぎない。鏡に映らない部分は、その市場−その鏡では必要とされない、あってもなくてもいい部分、あるいはない方がいい部分になる。
誰がどのような理由や目的で、鏡に映っている部分と映らない(映っていないと思っている)部分を決めているかについては注意が必要。何を見ようとするかで見えるものが違う。ビジョナリーとしての能力が問われる。本質的には市場が決めていると考えていいが、時には鏡に写っている自社や自分たちの貴重な部分に気がつかないことがある。写っている像のなかに萌芽的で注意して見ないと見つけられないものもある。なかには随分前から映ってはいるのだが、像の景色の一部のようになってしまって見落とされているものもある。
市場の判断は尊重するが、最終的に鏡の像を見るのは自社であり自分たち。市場を無視した自己定義に意味はないが、自己定義はあくまでも自己定義。定義するのは自分たち、定義されるのも自分たち。定義したものから何をどうしてゆくのかを決めるのも自分たち。様々な情報を参考にはするが、人任せにはできない。全ては自分たち次第。
1013/11/10

【参考】
シーアイ=自己定義