共生体も包括した自己定義

社会やその一部である市場に対する自社や自分たち、この両者はお互い共生関係にある生命体に擬せられる。
生命体にはそれ自身でなりたっているのではなく、それ自身が持っている生態系に依存している。そこでは、生命体自身の生理活動に加え、その生理活動を可能にしている共生体がいる。生理活動を表面的に観察した限りでは、生命体自身が自身の能力によって生理活動をしている、それだけで生態系が成り立っているように見える。ただ、多少詳細にみてゆけば、生理活動は共生体との関係抜きにはあり得ないことが分かる。
生命体は共生体に活動の場を提供し、共生体の生理活動の受益者の立場にいる。企業活動もこの生命体と共生体な織りなす生態系の活動に似たところがある。機能している企業組織も企業組織単独で成り立っているわけではなく、それを支えている、可能ならしめている別の組織体−外注先や代理店−があってはじめて機能する。その活動、容易に察知できることもあるが、ときには支えられている企業がその重要性を忘れていることがある。

“市場とは“の冒頭で述べたように、それは自社や自分たちがビジネスを継続、推進するために注視しなければならない社会の一部分。ただ、社会のどの一部分なのかは自社や自分たちがどのようなビジネスをどのように継続、推進、あるは整理しようとしているのかで異なる。昨年までの”どの一部“が今年の”どの一部“と寸分違わず同じではない。市場の変化も自社や自分たちの変化も些細で取るに足らないから自社の自分たちのありよう−自己定義になんら変更はいらないという結論はない。直接、間接に関係している市場の変化、たとえばご同業が新製品を市場投入したとか、どこそかがどこそかに買収された、パートナーの経営方針が変わったなども様々な変化がある。新製品やサービスを市場投入して、古いモデルを製造に中止する。。。、数ヶ月の間になんらかの変化が起きている。何もないというのは、何もみようとしない現実逃避か視野狭窄の結果ででしかない。
社会になんらかの変動があれば、その変動に連れて市場の一部も大きくか小さいかの違いはあって変わる。また、場合によっては、今まで注視してきた一部分に加え、別の一部分の方をより詳細に注視しなければならないことも起きる。
新製品投入や、積極的なパートナーシップの締結で自ら市場を換えてゆくこともあるだろう。自社や自分たちが変わらなくてもパートナシップ次第で市場のおける自社や自分たちの像を大きく変えられる。たとえば、市場へのアクセス(営業力と呼ぶか?)が弱点だった企業が、相手先ブランドで製品を販売力のあるパートナー経由で市場投入すれば、一気に自社の弱みを解消し得る。
システムエンジニアリング能力の弱い制御機器メーカがシステムインテグレータと協業すれば、システムエンジニアリングが強みの同業に競合できるかもしれない。システムエンジニアリングは業界ごとに必須のノウハウが極端に違うため、全ての産業界を一社で網羅しきれない。個々の業界に特化したエンジニアリング能力を持ったシステムインテグレータと協業すれば、システムエンジニアリングを社内に持っている企業より広範な業界にソリューションを提供できる。
持っていることが必ずしも強みで、持っていないことが必ずしも弱みではない。自社の自分たちの弱みを強みする戦略を検討するためにも、市場において自社は自分たちは何なんだという自己定義が基本のなる。

自らの策が打たれる前と後では市場にも、市場における自社や自分たちのポジションにも何らかの変化がある。もし何もなければ、自社と自分たちの体力を無駄に消耗したことになりマイナスになる。
何があっても必ず何かが変わる。何かが変われば、必ず自社と自分たちのポジションも変わり、その変わったポジションでの市場における自社や自分たちが何なのかという自己の再定義が必要になる。新しい自己定義なくして、かつての自己定義に基づいた戦略や組織、戦術をそのまま続けるのは、たとえ長期的であったとしても自殺行為に近い。生きてゆくためには自社や自分たちだけでなく共生体も含めた自社や自分たちの生態系−自己を定義し直すことになる。
2013/11/10

【参考】
シーアイ=自己定義