自己定義から

戦略は市場における自社や自分たちの現在のありようと将来のありようの“ギャップ”を埋める算段。市場との対峙のなかから自社、自分たちが何を求めて何をしてゆくのかを検討し決定することを戦略を立てると言っている。戦略を立てるには当然のこととして、まず市場において自社や自分たちが一体なんなのか、自己定義が不可欠となる。市場の理解に基づいたしっかりした自己定義のないところに有意の戦略はない。
そこには常に市場がある。市場から遊離した自分のなかの形而上学的定義は不要というより害がある。戦略立案は、常に市場における自己定義から始まる。どの市場のどの部分に対する今日の自分たちと明日の自分たちがどう在りたいのか自己問答に陥りかねない思索を経て始めて有意の戦略が生まれる。
“市場とは”で説明したように市場は一つではない。どこまで詳細に、またどこまで関連した市場を見なければならないかは、その時々自社なり自分たちが置かれた状況による。ここまで見ればいいという規則もなければ規程もない。ガイドラインとしては、“ギャップ”を埋めるという目的を達成する−戦略を立てるのに必要にして十分なレベルになる。必要以上に詳細な市場の検証や分析は時間とリソースの無駄。市場の情報を集めるのが目的ではない。情報を売り物にしているマスコミや市場調査会社なら話は別だが。
社としての戦略を遂行するために個々の部隊は、個々の部隊としての自己定義に基づいた戦略を立案する。その際、当然のこととして社としての戦略の一機能部分としての部隊の戦略がある。両者の間の整合性がどうのという問題は本来起きるはずがない。もし、起きたとすれば、社としての自己定義と社内の一部隊としての自己定義の間の乖離を発生さている問題の解決が先になる。
学校教育ではない。先生か誰かが教科書を用意してやることからやり方まで教えてくれる訳ではない。実務の場では自分たちで、自分たちのやり方を作り上げる能力を培うしかない。有意な戦略を立てるのが目的だが、組織の資産という視点でみれば、有意な戦略を立て得る組織の能力が重要なのは言うまでもない。
戦略は個々の部隊の個々の行動計画の集大成ではない。全社の戦略がブレークダウンされて個々の部隊の戦略に、さらに個々の部隊の行動計画になるものであって、実務部隊から現場の声を吸い上げてまとめたものではない。また、実務現場の状況を知ることなく立てられたものも戦略とは呼ばない。
実行しようのない戦略は“絵に描いた餅”のようなものであって、戦略ではない。実行すれば組織に犠牲を強いる戦略は、犠牲を最小限にする選択肢としての戦略でなければならない。 戦略は企業や組織の成長を目指したものだけではなく、しばし事業の整理や縮小、ときには撤退を最小限の犠牲のもとに実行するために立てなければならないことがある。 企業として、組織としての成長を目的とした戦略より縮小、撤退のための戦略の方が難しい。人も組織も傷む。
社会も市場も常に変化している。その変化、あるいは自社や自分たちが思う、こうありたいが変われば、見るべき市場も視点も異なる。異なる市場における、新たなこうありたいから市場において自社は自分たちは一体なんなのかという自己定義を再度繰り返す。何か事ある度に自己の再定義が必要となる。日々の業務を遂行しながら、常にかつてした自己定義が検証される。自己定義の作業は、さあ、今から始めましょうといってできるものではない。市場と向き合う日常の業務から自社と自分たちがどういう立場にいるのか、今までどこに向かおうとしていたのかの検証をし続ける企業文化、組織としての文化、個人としての習慣のないところに有意の戦略が立てられることはない。
2013/11/17

【参考】
シーアイ=自己定義